ぼくは生きる

ぼくは生きる

大人が嫌い。自分も嫌い。そんなことを言っていても大人になっていく。自分と向き合っていく。これは避けられないんだと思う。

ぼくはマイノリティなのか

ぼくは集団に馴染むのが苦手だ

理由はいろいろあるけれど特に大きな理由がひとつ。

それはぼくは周囲にあまり共感できないってこと。

ぼくはみんなが楽しそうでもなんで楽しそうなのかわからないことがある。

 

特にわからないのが恋愛の話。

ぼくは恋がわからない。

ぼくはこれまでに一度も恋をしたことがない。

恋ってそもそもなんなんだろうか。

もっといえば、好きってなんなんだろうか。

 

人間関係に限らず、ぼくは好きがあまりわからない。

幼い頃から自己紹介だのなんだのでよく聞かれること。

「好きな食べ物は?」

「何をするのが好き?」

ぼくは何が好きなんだろう?

いつもぼくは困っていた。

 

10代も後半になってようやくぼくは好きなこと・モノを見つけ始めた。

ぼくが答えられる好きはまだ少ない。

好きな音楽。

好きな場所・景色。

それからかろうじて趣味といえること。

ぼくはまだ「好き」という言葉がうまく使えない。

 

話を少し戻そう。

ぼくは恋がわからない。

それはきっと「好き」の違いがわからないから。

人に対する好きもわかっていないかもしれない。

恋かどうかは置いておいて好きな人ってどんな人だろうか。

 

苦手な人はいる。

どうしようもないほど苦手で受け入れられない人を嫌いな人ってことにしてみた。

それを反対にして考えた。

苦手じゃない人ってのは一緒にいて苦痛に感じない人。

苦痛に感じないを通り越して一緒にいて心地いい人が好きな人ってことかな。

なかなか難しい。

 

ぼくは友だちという言葉すら苦手だ。

友だちってすごく曖昧で怖い言葉に思える。

幼少期から中学まで一緒だった幼馴染。

高校の同級生や大学の同期。

会社の同期。

10年以上でも、3,4年でも、まだ数ヶ月でも

みんなすぐに友だちって言葉を使う。

ぼくにはそれが難しい。

ぼくが抵抗なく友だちと呼べる人はほとんどいない。

 

ぼくは昔からどの集団でもいてもいなくてもいいやつだった。

人が集まればすぐにグループが出来上がる。

ぼくはどのグループにも属せなかった。

どのグループともうまくやれたから、困ることはなかったけど、遊びに誘われることはなかった。

浅い付き合いしかしてこなかった。

 

ぼくはそもそも人に執着しない。

だって誰だって気がつけば離れていってるでしょ。

幼い頃に知ったこと。

多数派になれなければ集団には馴染めない。

ぼくはおそらく多数派になれなかったんだ。

 

やっぱりその1番の要因は恋がわからなかったことだと思うんだ。

年齢が上がるにつれ必然と恋愛の話は多くなる。

あの子がカッコいいだの、誰が誰を好きだの。

ぼくには難しかった。

 

人としての好きがかろうじてわかる程度のぼくに

特別な感情は理解できなかった。

男女関係なく関わるぼくはよく恨みを買った。

同級生の女子の多くに好かれていた男子と仲が良かったので、しばらく無視されたこともあった。

異性と仲が良いだけで噂されるのも相手に申し訳なく苦痛だった。

ただ親しくしているだけなのにまた何か揉め事に巻き込まれたくもなかった。

 

高校生くらいまでは異性の特に親しい人への感情が恋愛の好きなのかなと思っていた。

同性の特に親しい人を親友というのだと思っていた。

大人になるにつれ、いろいろと調べて知った。

恋愛の好きは別に異性に限らないこと。

それなら恋愛の好きは人としての好きと何が違うのだろうか。

 

さらに調べ続けてぼくは知った。

世の中には恋愛がわからない人がいるってこと。

恋愛がわからないのはぼくだけじゃなかった。

周りの多くがいう恋という特別な感情がわからないのはおかしいことじゃないらしい。

 

ぼくは自分と似た人を探してる。

ぼくは特殊じゃないと思いたいから。

それでもなかなか同じような人に出会えない。

知識としてはぼくと同じような人がいると知った。

それでもぼくの周りにそんな人たちがいない。

ぼくは普通じゃないのかと怯えていた。

同じような人がいるのなら出会ってみたい。

話を聞いてみたい。

だって同じような人となら共感し合えることがあるかもしれないから。