ぼくは生きる

ぼくは生きる

大人が嫌い。自分も嫌い。そんなことを言っていても大人になっていく。自分と向き合っていく。これは避けられないんだと思う。

ぼくとブログ

時間の切り売りを一生続けるの?

そんなのつまんないよ

考えるのが好き

ただただずっと考えていたい

頭の中で考え続ける日々

次第に複雑に絡まっていく思考

さながらぐちゃぐちゃに絡まったコードたちみたい

それを少しずつ解くように思考の整理を始めた

そうして綴りはじめたのがブログ

そもそもなぜブログだったのか

整理された文章を書くのが苦手だった

長いレポートなんて特に苦手

何度も同じ話をしてしまうくらいに

整理された文章が書けるようになりたかった

それに言葉にするってことは思考の整理に向いている気がした

自分の思考に言葉を当てていくのは難しい

言語化しがたい思考と向き合う中で言葉を身につけていく

綴った言葉と思考との僅かなずれの蓄積が時折気持ち悪く、最適な言葉を探す煩わしさにも出会った

それでもブログを続けたのは

書き続ける中で言語化することが癖になり、自分の思考が堂々巡りすることが減った

思考がさらに深くなるのを感じた

人に説明するのも苦手だったが少しずつ解消された

自分の思考を言葉を用いて整理していくことで伝える術を知っていった感覚

たぶん自分と向き合う時間の質を上げられたことが続ける大きな理由

 


たしかにいつかは会社員から抜け出したい気はしている

あちこち行きたいような感覚

もっと旅をしていたいという願い

でもぼくの奥底には普通でありたいという感覚がある

人と違うということへの恐怖心

それは幼い頃に植え付けられ、いつまでもぼくの足枷になっている

普通でないと何度も思い知らされた

普通になれないと何度も実感させられた

その中で諦めようとし続けてきた

それでも諦めきれてはいなかった小さな願い

普通でありたい

 


異質でもいいから自由を得たいという自分と

少しでも普通でありたいという自分

この2人の自分がいつだって喧嘩しているような感覚がある

だからぼくは会社を辞めたいと口にするが,それが願望の域を出られないことを知っている

 


もしぼくが生まれたのが日本じゃなかったらなにか違ったのかな

なんてね