ぼくは生きる

ぼくは生きる

大人が嫌い。自分も嫌い。そんなことを言っていても大人になっていく。自分と向き合っていく。これは避けられないんだと思う。

自分の知らない自分

時々、自分の中に自分の知らない姿が見える

それが怖くなることがある

先のことを考える時間が増えた

自分と向き合うことが増えた

そうすると

自分は自分自身を知らないことに気がついた

あの人もこの人も私ではない

だから本当の私のことなんて知るはずがない

でも私は私だから自分のことなら知っているはず

そう思っていた

でも違った

私は私を知らない

誰かの方が私を知っているのかもしれない

 

時折、自分の真っ黒な一面が垣間見える

そうして自分を恐れる

生死について考えることがある

一時は自分に関わった人を全て殺してから死ねば消えれるのかもしれないと思った

もちろん、そんなことは出来ない

ただ私は恐らく自分の痛みには鈍感だ

自分への関心はあまり高くない

自分を消す方法を考えるような性格だ

死は望まないが消えたいとはよく思った

自分がどうなろうとどうでもいい

でも誰かに迷惑をかけるのは嫌だ

そんな思いからだった

 

時折、自分の未熟な一面しか見えなくなる

あれもできない、これもできない

何もかも中途半端だ

そうやって自分を嫌っていく

誰かの賞賛を得ても良い結果を得ても

できていないという感覚だけが私を占める

できないなんてことは許されない

そんな思いも頭をよぎる

とにかく無我夢中になることもある

だが、心が折れるのも早い

自分はできないことしかないって思っているから

できないできないと思いながらやり続けるのは苦しい

 

そして時々、自信過剰になる

あれだけやったんだから

こんなに頑張ったんだから

そういって認められるはずだと思い込む

実際には大したことは無いだろう

それでも自分に自信を持たないと心が持たないことがある

それを知っているからかもしれない

あれもこれもできる

そう思いたいのかもしれない

勝手に優れている気分になる

でも、本当は自分が劣っていると実感している

ただただそれを認めたくないから自信ありげに振る舞う

 

きっと自分に見える自分の姿はほんの一部でしかない

誰かに見えている自分もきっと一部だけ

じゃあどうすれば自分の全体が掴めるのだろう

自分の知らない自分が無くなっていくのだろう

いや、今のままでもいいや

自分の知らない自分がいる方がきっと面白い

自分の知らない自分に出会える瞬間は面白い 

だから知らない自分がいてもいいんだ

どうやっても知らない自分はなくならないんだろう