ぼくは生きる

ぼくは生きる

大人が嫌い。自分も嫌い。そんなことを言っていても大人になっていく。自分と向き合っていく。これは避けられないんだと思う。

大人は敵

ぼくは大人が嫌いだ

平気で嘘をつくから

大人のいうあなたのためは

いつだって嘘ばかり

あなたのためだって

すぐにそう言うけど

本当は自分のためでしょ

全てがそうだとは思わない

でもほとんどがそうでしょ

 

それに大人は

勝手に期待して

勝手に失望する

きっと大人は

ぼくを見ていない

親も教師も

周りの大人たちも

ぼくの成績や評価を見て

ぼく自身は見ていない

だから勝手なんだ

 

でもきっと

そんなことないって

言うんでしょ

じゃあもしもぼくが

勉強も運動も一番下で

なんにも出来なくて

いわゆる出来損ないでも

今と変わらないのかな

そんなことないでしょ

変わらないなんて綺麗事

誰でも言えるよ

 

大人は外面が大切みたい

本音と建前はわかるよ

でもそれとは違うよね

よくある話

家の中と外では別人の親

親の人生のやり直しを歩く子供

子供が優秀で鼻が高い親

親に認められたい子供

 

時々思う

親子関係には洗脳があるのかも

子供は親に育てられる

自分で判断できないうちから

親のいうことを聞くものだと

そう教えこまれるかもしれない

少なくとも影響は受ける

だから親の人生のやり直し

そんな子供がいるんじゃないかな

 

ぼくは思うんだ

子供は親のものじゃないって

もっと自由でいいんだって

自分で考えて選べばいいって

親を疑うことも大切だって

 

自分に聞いてみる

その考えや判断は

自分のものか親の望みか

 

だから言わせて

親にも周りの大人にも

ぼくの評価に一喜一憂しないで

ぼくに期待しないで

ぼくは自分で道を選ぶ

 

ぼくの幸せはぼくが決める