ぼくは生きる

ぼくは生きる

大人が嫌い。自分も嫌い。そんなことを言っていても大人になっていく。自分と向き合っていく。これは避けられないんだと思う。

疑念と願い

大人はいつだって卑怯だ

自分の都合に合わせろと傲慢なことばかり言う

それなのにいつだって悪いということにはならない

時には好きなように手を挙げ

好きなように馬鹿にする

親の目に子供の権利というものは

いつだって弱められている

苦しみや憤りですらも

自分たちの感じたことのあることにしか

感じないものと考える

どんな感情も自分たちを基準に置く

大人に現在の背景なんて関係ない

彼らの目は過去の自分を通すことしか出来ない

さらに大人は都合が悪くなると

面倒だと感じると

とりあえず威圧的になり子供を制圧しようとする

子供が何を見ているのかなんて知る由もない

大人が子供を理解することなんてない

僕はあんな大人になんてなりたくない

僕は何も出来ない 分からない 子供じゃない 

僕は自分の心情に従って行動する

大人に支配なんてされない

僕は自由を求めている

自由は全ての人の権利だ

しかし大人は子供の権利を無視する

子供を未熟だと知ろうとしない

溝は埋まらない

知ろうとしない大人しかいないのだ

正当な考えほど消えていく

僕の脳内を的確に

述べることの出来るものに出会いたい

誰も僕を知らない 僕すら知らない

僕は孤独な闇の渡りやのようなもの

いつだって孤独にいるのが一番楽だ

大人になんかなりたくない

自分に都合の良いようにあれと

しつこく強要する大人になんかなりたくない

僕は自由を愛する人間だ

自由であるためには孤独だって拒まない

誰にも決められたくはない

誰かの都合に

合わせなくてはならないことが理解できない

なぜ生活のための行動すら自由がないのか

学校のような規則のある空間ではないのに

家で行動を決められなければならないのか

僕の自由はどこにあるのか

誰も答えを持たない

意味がわからない

他人の都合なんて知らない

誰も僕に関わるな

僕の自由を奪うな

僕の生活を壊すな